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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)10890号 判決

原告 柳瀬弘二

被告 和田製本工業株式会社

主文

一  被告は原告に対し、金四五六万四七二八円及びこれに対する昭和五〇年一月二二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事  実 〈省略〉

理由

一  請求原因第一項記載の当事者の関係に関する事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因第二項記載の事故の発生に関する事実は、示指の欠損の程度の点を除いては当事者間に争いがない。右の示指の欠損については、証人山崎英心の証言、原告本人尋問の結果並びに成立に争いのない乙第二六号証及び第二七号証によれば、本件被災後直ちに原告を付近の矢作医院に赴かせ治療にあたらせ当初は縫合により全快するものと診断されていたところ、縫合によつても指が固まらず治癒することがなかつたためやむなく同指末節全部を切断し欠損するに至つたものと認められる。

三  被告会社の責任について

1  被告会社が従業員たる原告に対し労働契約に基づく安全保護義務を有していたことは当事者間に争いがないが、原告を従業させるにあたり右安全保護義務の内容としていかなる具体的義務を負つていたかは、本件のような機械作業に対する原告の熟練度、原告が作業についた本件「ナラシ機」の性状、本件「ナラシ機」の作業の作業形態等を基礎として決せられるべき性質のものと思慮されるので、以下これらの点について判断する。

2(一)  原告がアルバイト学生であり、本件のナラシ作業は未経験であつたことは当事者間に争いがない。

(二)  本件「ナラシ機」の開閉溝部分には保護板・保護網等の保護設備がないため作業員の手指が右箇所に容易に入りうること、その場合強力に開閉を繰り返す圧縮板によつて手指が挾まれ潰れる恐れがあることについては当事者間に争いがない。また、証人遠藤克司、同中島勝己の証言、原告本人尋問の結果、検証の結果、並びに成立に争いのない乙第三ないし第五号証、第一五号証、及び第三〇号証の一、二によれば、開閉溝の深さは六センチメートルであるが、開閉溝上部から揃え台上部までは僅か四センチしかなく、開閉溝に作業員の手が容易に入りうる状態にあること、当時ナラシ作業をしていた本を右開閉溝に仕掛けた時には、溝に入らない部分は一五、六センチメートルあり、正規に本の小口部分を持つ限り何らの危険はないが、作業員自身の不注意や、本を仕掛けた作業員の本を持つ位置が悪かつたり、或いは後記のように手首の疲れから低い位置に持ち変えたり、さらには本を仕掛ける作業員が本を放すのが早すぎて取る側の作業員が慌てて取ろうとするような場合には、取る側の作業員の手の位置が低くなり圧縮板に手指を挾まれる危険があること、現に、本件練馬工場において、以前に二回の「ナラシ機」による事故が起つており、特に昭和四七年二月の事故は原告と同じアルバイト学生が機械に左手指を挾まれて負傷した事故であることが認められる。

ところで、証人丹羽功の証言によれば、労働基準監督署の係官が本件練馬工場を監督に来た際、本件「ナラシ機」の開閉溝の箇所については何の注意もうけなかつたこと、また本件「ナラシ機」は製本業界で一般に用いられているものと同型のものであることが認められる。しかし、右に述べたように本件「ナラシ機」が人の身体を害する可能性をもともと有しているのみならず、作業状況によつては作業員に危険をもたらすものである以上、単に行政上の指導をうけていない、或いは、業界で一般に使う機械と同型であるというだけで一切の私法上の義務から免れることはできないというべきである。

(三)(1)  そこでさらに本件ナラシ機の「取り屋」の作業形態についてみるに、原告が課せられた右作業の内容が、圧縮板で圧縮された本(平凡社の百科事典第三三巻、重さは約二・〇七キログラム、大きさは縦三〇センチメートル×横二二センチメートル×厚さ五・二センチメートル)を開閉溝から持ち上げたうえ体をねじつて真後ろの方向に運び、積台に整頓して置き、時には積み上げた本を次の工程のため押してやるというもので、しかも、以上の作業を一分間に二一回の割合で敏速かつ規則的にくり返すことが求められていたことについては当事者間に争いがない。

(2) そして証人中島勝己及び鈴本繁男の証言、原告本人尋問の結果並びに検証の結果を総合すると、原告が行なつていた作業は、とり扱う本自体が重いものであり、ナラシ機の開閉に伴なう作業速度も一貫した流れ作業の中でかなり速いものであり(とくに積み上げた本を次の工程のため押す必要があるときは作業速度は一層スピードが要求される。)、しかも作業姿勢にも無理がある(本件「ナラシ機」を用いる際には体を真後ろにひねる必要がある。)といつた事情のため、必ずしも軽労働ではなかつたこと、未経験の学生アルバイトである原告がそのような作業を断続的ではあれ(証人遠藤克司の証言によれば、「ナラシ機」が作動するのは一時間中四〇ないし四五分であり、余りの時間原告は待機、休憩することができたことが認められる。)二時間余にわたり続けた結果、慣れない仕事のため、原告の手首、肩、腰等は著しく疲労し、事故直前には自分の手が思うように動かない程度に至つていたこと、手首の疲れから本の持ち方を様々に変えてようやく作業を続けていたこと、そしてさらに、圧縮板の開閉を注意して見る余裕もないほど疲労しその集中力、注意力が減退するに至つていたことが認められる。なお証人遠藤克司は、原告の本の持ち方は終始正規の方法に従つており、これについて特に注意の必要はないものであつた旨証言しているが、右証拠にてらし措信しえない。

3(一)  したがつて、被告会社としては、「ナラシ機」及び「ナラシ機」の「取り屋」の作業について原告のごとき未経験のアルバイト学生を従事させるにあたつては、「ナラシ機」の開閉溝の側面に保護板もしくは保護網等の安全装置を設けるか、作業速度を遅くし、或いは、作業工程を工夫する(例えば、機械の配置を変え、運搬距離、作業姿勢を楽なものにする、積んだ本を押す作業を他の作業員にやらせる。)等の改善措置を講ずるほか、「ナラシ機」の危険性について以前に事故があつたことも含め十分な説明をなすべき義務を負つていたと考えるのが相当である。

(二)  もつとも右に述べた各種の改善措置に関し被告は保護設備を開閉溝に設けるとかえつて作業に支障をきたし、また作業の速度も機械の速度の関係で遅くすることはできない(なお証人丹羽功の証言によれば、機械の速度は遅くできないことが認められる。)旨主張しているが、「ナラシ機」の形状や「ナラシ作業」の形態に関し先に認定した事実に基づいて考えるに、保護設備の設置、作業速度の減速(新たな機械の発注という方法が考えられるが、そうでなくとも検証の結果によれば本を仕掛ける作業員が、「取り屋」の作業速度に応じ仕掛けるテンポを考えて本を仕掛けることにより、減速が可能であることが認められる。)はいずれも技術的には可能である。

4  しかるに被告会社は右のような保護設備の設置、作業工程の改善の措置を講じておらず(このこと自体は当事者間に争いがない。)、むしろ、証人遠藤克司の証言(一部)及び原告本人尋問の結果によれば原告のついた「ナラシ機」のオペレーターをしていた遠藤は、ナラシ作業に不慣れなためにどうしても作業が遅れがちであつた原告に対し特に作業速度を加減してやることもなく作業を急がせ、また、原告が仕掛けられた本をつかむ前に同人が本から手を放してしまい本が倒れそうになるため、原告が慌わてて本をとろうとしたこともあつたことが認められ、また、前記の必要な機械の危険性についての説明もしていない。すなわち証人遠藤克司の証言(一部)、原告本人尋問の結果、及び検証の結果によれば、原告が事故当日の午前八時三〇分ごろ本件作業を開始するにあたり、「ナラシ機」の危険性や安全な作業手順等につき被告会社からとくに指示説明がなかつたこと、そこで原告が他の従業員の作業手順を参考に見よう見まねで作業を開始したのであるが、原告がそうした危険を伴う状態で作業を続けていたのに対し、被告会社からはその従業員遠藤が原告の作業位置について指示し、また同一〇時三〇分ごろ工場長丹羽が原告が本を持つ時の手の位置について口頭で注意しただけで、他に適切な注意・指示を与えていなかつたことが認められるのであつて、右事実だけでは到底被告会社は前記の必要な説明を施したとは認められない。

5  以上の事実によれば、本件事故が被告会社の安全保護義務の不完全な履行によつて生じたことは明らかであり、その余の責任原因につき判断するまでもなく、被告会社は原告の被つた後記の損害につき原告に対し賠償する責を負うものである。

四~六 損害〈省略〉

七 結論〈省略〉

(裁判官 山田二郎 矢崎秀一 有吉一郎)

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